この記事では、日本代表として活躍した、現在も活躍し続け日本の歴史に名を遺す結果を残した最高得点選手をランキング順で紹介します。サッカー好きが知っていないなんて恥ずかしい!
1位 釜本邦茂
堂々の1位、釜本邦茂は最も良い結果を残した日本サッカー史上最高のストライカーの一人です。1968年メキシコオリンピックではなんと7得点を挙げ、堂々の得点王に輝き、日本代表の銅メダル獲得にも大きく貢献しました。なんといっても、釜本の右足から繰り出される強力なシュートが最大の武器です。特に右45度からのシュートは完全にと言っていいほど正確で、そのレベルは世界最高峰ともいわれていました。また、左足からのシュートも正確であり、ヘディングシュートも美しいと称賛されていました、インタビューで釜本は、本人のシュートについて「5割は右足。左足が3割で、頭が2割」と語っていました。


2位 三浦知良
2位は三浦知良1967/2/26生まれ、Jリーグ初出場1993年、日本代表出場試合は91回
国内外受賞多数。国内における最年長プロサッカー選手であると同時に、Jリーグ発足当時からプレーを続ける選手です。三浦は、小1から城内フットボールクラブで本格的にサッカーを始め中学時代から注目を集める。静岡学園高を1年で中退し、ブラジルヘ単身留学しCAジュベントスに入団。そして、日本人では初めてブラジルの公式戦に出場。86年にはサントスFCと日本人初のプロ契約を結びました。その後日本人なら知っている、「カズ」の愛称でトップ選手へと昇り詰めました。
3位 岡崎慎司
3位は岡崎慎司です。2020年の日本代表得点ランキングで歴代3位、出場数で4位の記録を保持しています。2015年から2019年までイングランド・プレミアリーグのレスター・シティFCに所属していました。「キリンチャレンジカップ 2014」で、日本代表はニュージーランド代表と対戦し、4-2で勝利が確定しました。日本の1点目と4点目を決めたマインツ所属FW岡崎慎司は、国際Aマッチ通算ゴール数が38点となり、なんと、歴代単独3位に浮上しました。岡崎はこのニュージーランド代表戦で、国際Aマッチ73試合目の出場。開始4分に先制点を挙げ、日本サッカー協会の専務理事を務める原博実氏と並ぶ通算37得点目をマークしました。そして、17分にMF本田圭佑のアシストを受けて、原氏の記録を抜くゴールをきめました。


4位 原博実
4位は原博実、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の副理事長です。早大時代に日本代表に初選出され、驚きの得点を挙げ、上記の釜本邦茂(日本サッカー協会顧問)、三浦知良(横浜FC)、岡崎慎司(レスター・シティ FC)に次ぐ歴代4位の記録を獲得しました。原は、1992年に引退し、浦和レッズのコーチを経て1998~99年、浦和の監督を務めました。
5位 本田圭佑
5位の本田圭佑は日本代表時代には日本人初となるワールドカップ3大会連続ゴールを決め(日本人のW杯最年長得点者)、アジア人のW杯最多得点者となり、アジア人初となるW杯3大会連続アシストも達成しました。また、デイビッド・ベッカムらに続くW杯3大会連続となる得点とアシストの両方を記録した史上6人目の選手となりました。そして、FIFA選出のワールドカップのマン・オブ・ザ・マッチ数において日本人最多の4回受賞し、ハメス・ロドリゲスらと同様に受賞総数5位となりました。


6位 香川 真司
6位の香川 真司は、兵庫県神戸市垂水区出身のサッカー選手。2008年に日本代表に選出され、キリンチャレンジカップの対UAE戦では日本代表史上3番目の若さで代表初得点を挙げました。ブンデスリーガ2011年シーズン前半の最長平均走行距離12.36kmを記録したり、2018年ロシアワールドカップの決勝トーナメントベルギー戦でも両チーム唯一の12km台を記録しています。2010年、育成補償金35万ユーロでブンデスリーガのボルシア・ドルトムントに移籍しました。加入をすると背番号23番を背負い、トップ下のポジションでプレーしました。その後、活躍を見せ、ブンデスリーガ公式サイトにて最優秀選手並みの活躍をしたと報じられました、キッカー誌が選定するリーグ前半戦の攻撃的MF部門では最優秀選手に選出されました。2011年に国際サッカー連盟(FIFA)が発表した2011年期待の若手13人の1人に選考されました。